ぞうきんの悪臭を作る細菌「モラクセラ・オスロエンシス」と不快感バイオロジー✉️120✉️
部屋干し、あるいは洗いたてのタオルを使った瞬間に鼻をつく、あの独特の嫌な臭い。一般に「雑巾様臭」や「生乾き臭」と呼ばれる悪臭です。日本の住環境において部屋干しの利用率は高く、実に8割以上の人々が部屋干しを行い、その多くがこの臭いの問題に直面しています。
しかし、微生物学や環境バイオロジーの視点から見れば、この現象の主役はヒトでも衣類でもありません。「モラクセラ・オスロエンシス(Moraxella osloensis)」という好気性グラム陰性細菌です。
2012年には、花王株式会社などの研究チームが、衣服に付着する微量な臭気成分を徹底的に分析し、部屋干し臭を発生させる真犯人として、このモラクセラ・オスロエンシスの分離・同定に成功しています。
これまで単なる「水分や皮脂の生乾き」として片付けられていた現象の裏には、モラクセラ・オスロエンシスという高い環境適応能力を持つ生命体の生存戦略と代謝システムが隠されていました。今回は、モラクセラ・オスロエンシスのバイオロジー、この菌が生み出す化学物質の正体、自然界での意外な側面、そしてバイオテクノロジーに基づく防臭ソリューションについて解説します。

4-メチル-3-ヘキセン酸(4M3H)
雑巾のような悪臭の化学的な正体。それは、4-メチル-3-ヘキセン酸(4M3H)と呼ばれる中鎖不飽和脂肪酸です。
花王などの研究チームは、雑巾様臭を発する実際の衣服から酸性揮発性画分を慎重に抽出し、ガスクロマトグラフィー質量分析法(GC-MS)や調製用フラクションコレクターといった高度な分析技術を用いて解析を行いました。その結果、衣服の悪臭に寄与する各種脂肪酸の中で、4M3Hが重要な役割を果たしていることが判明しました。
4M3Hの特徴は、その極めて低い嗅覚閾値(ヒトが臭いとして認識できる最小濃度)にあります。衣服50グラムあたり最大でも5マイクログラム(わずか1000万分の1グラム単位)という、超微量しか存在しないにもかかわらず、アロマ抽出物稀釈分析(AEDA)において、全体的な悪臭強度に大きく寄与していることが確認されました。
各種脂肪酸濃度の対数値と、ヒトが感じ取る悪臭強度との相関解析では、4M3Hが高い正の相関(相関係数 r=0.72,p<0.05)を示しました。生命は進化の過程で、病原菌や腐敗生成物を回避するために特定の不飽和脂肪酸に対する高感度な嗅覚受容体を獲得してきたと考えられています。ヒトの鼻は、4M3Hを捉えた瞬間、生物学的な警戒アラームとして強烈な不快感を発動させるのです。
化学的に類似した分岐不飽和脂肪酸は自然界やヒトの代謝物にも存在します。例えば、3-メチル-2-ヘキセン酸(3M2H)は脇汗の体臭成分であり、5-メチル-4-ヘキセン酸はアセロラ様の果実香、5-メチル-2-ヘキセン酸は紅茶の香気成分です。しかし、4M3Hこそが、生乾き臭の主因であると突き止められたのは初めてのことでした。
常識を覆す生存能力――モラクセラ・オスロエンシスの生態と遺伝的プロファイル
悪臭物質が4M3Hであると判明したことで、研究チームは19枚の悪臭衣服から付着微生物を抽出し、寒天培地上で分離・培養を行いました。各菌株を滅菌タオルに接種して加湿培養するバイオアッセイを実施した結果、特定の菌群を接種したタオルからのみ大量の4M3Hが生成されることが実証されました。
原因菌の正体を突き止めるため、現代微生物学の精密な解析手法が投入されました。16S rRNA遺伝子の塩基配列に基づく系統樹解析をはじめ、染色体DNAの相同性を測定するDNA-DNAハイブリダイゼーション試験、DNAのGC塩基含有量分析、さらには細胞膜の脂肪酸組成プロファイリングが行われました。その結果、この菌はシュードモナス目モラクセラ科に属する好気性のグラム陰性2連短桿菌、モラクセラ・オスロエンシス(Moraxella osloensis)と同定されたのです。
これまでヒトの粘膜常在菌として知られてきたモラクセラ・オスロエンシスが、家庭の洗濯衣類という人工的なニッチに存在していたという事実は、とても興味深いことです。
洗濯をものともしない「超絶耐性」のメカニズム
なぜモラクセラ・オスロエンシスは、洗剤の界面活性剤に晒され、太陽光や風に当てられた衣服の中でも死滅しないのでしょうか。その秘密は、本菌が獲得した脅威的な環境適応力にあります。
モラクセラ・オスロエンシスは、水分が激減した環境下でも細胞構造を維持し、休眠状態で潜伏し続ける能力を持っています。一度衣類の繊維奥深くに定着すると、乾いた状態でも死滅しません。

多くの細菌は日光に含まれる紫外線によってDNAが破壊され死滅します。しかし、モラクセラ・オスロエンシスは紫外線を照射されても高い生存率を維持できる強いDNA修復機構または保護システムを備えています。
水を使った低温洗濯が主流であり、節水型洗濯機が普及した現代日本の生活習慣は、モラクセラ・オスロエンシスにとって「天敵が少なく、わずかな皮脂汚れ(脂質)と水分が定期的に供給される絶好の繁殖地」となっています。洗剤や日光を生き延びたモラクセラ菌は、衣類に残った水分と皮脂を取り込み、急速に増殖しながら代謝産物として4M3Hを大量放散するのです。



