【やさしいまとめ】『天然信仰』を科学でほどく:「合成」と「天然」をめぐる考え方のズレ✉️63✉️
最近、科学や技術について話し合うときに、なかなか話がかみ合わない場面が増えています。データや実験の結果を示しても、「でも私はそう思わない」「自分の感覚では違う」と言われてしまい、話が先に進まないことがあります。
これは、単に知識が足りないから起こる問題ではありません。人がものごとをどうやって信じ、どうやって判断しているのかという、もっと深い部分の違いが関係しています。
その大きな例が、「合成(人が作ったもの)」と「天然(自然のもの)」のとらえ方の違いです。
今回は、過去の文章をできるだけわかりやすく書き換えた内容になっています。
なぜ「天然」はよく見えて、「合成」は疑われやすいのか
同じ成分で、同じはたらきがあるものでも、「天然」と書かれていると安心できる気がして、「合成」と書かれていると不安になる人は少なくありません。
これは個人の好みだけの問題ではなく、医療の選択や国のルール、さらには社会全体の動きにも影響を与えています。たとえば、「自然なものは体にやさしい」「人工的なものは危険そうだ」という考え方は、多くの人に共有されているようです。
「自然っぽいもの」を信じやすい社会の空気
この考え方は、はっきりと「科学は間違っている」と主張される形で広がっているわけではありません。むしろ、「なんとなく安心できそうだ」「昔からあるものだから安全そうだ」「体に良さそうな感じがする」といった、はっきりしない気持ちのイメージとして社会に広がっているのです。
そのため、この考え方に対して「本当にそうなのだろうか」と問い返すことが難しくなっています。
「ナチュラルネス・バイアス」とは何か
このような考え方を「ナチュラルネス・バイアス」と呼びます。これは、「自然」「天然」「ナチュラル」といった言葉がついているだけで、中身をよく考えなくても、「安全そう」「良さそう」「正しそうだ」と感じてしまう心のくせのことです。
実験では、成分も効果もまったく同じ二つの薬を用意し、一方には「天然由来」、もう一方には「合成」と表示して人に見せると、多くの人が「天然」と書かれた方を選びました。さらに、「合成」と書かれた薬の方が安全性が高いという説明を受けた後でも、それでもなお「天然」を選び続ける人が一定数いることが分かっています。
「自然=安全」は本当か?
冷静に考えてみると、「自然だから安全」という考え方が必ずしも正しくないことは明らかです。自然界には、強い毒をもつ植物もあれば、命にかかわる細菌やウイルスも数多く存在しています。
一方で、私たちの寿命が長くなり、病気で亡くなる人が減った背景には、人が作った薬やワクチン、そして医療技術の進歩があります。それにもかかわらず、「天然」という言葉を聞くと安心してしまうのは、人がいつも事実だけをもとに判断しているわけではないからです。
気持ちで決めてしまう人間のしくみ
人が「天然」を信じやすい理由はいくつかあります。その一つは、「自然なものは体になじみ、人工のものは体に合わない」というイメージにもとづいた考え方です。これは科学的な知識というより、感覚的な思い込みに近いものです。
もう一つの理由は、「なんとなく良さそうだ」という気持ちで判断してしまうことです。これは、むずかしいことを深く考えずにすませるための、人間の脳の便利な仕組みでもあります。さらに、「人が自然に手を加えるのはよくないことだ」という気持ちが強いほど、科学や技術そのものが怖く見えてしまうこともあります。
気づかないうちに起こる社会のリスク
「自然が好きだ」という気持ちそのものは、決して悪いものではありません。自然の中で過ごすことが心に良い影響を与えることも、科学的に確かめられています。
問題になるのは、その気持ちが「絶対に正しい」「疑ってはいけない」という考えに変わってしまったときです。たとえば、科学的に効果が確かめられている治療を避けてしまったり、ワクチンを怖がって受けなかったり、「無添加」や「天然」という言葉だけで安全だと思い込んでしまったりする行動は、かえって危険を高めることがあります。しかも、このような思い込みは、専門家であっても完全に避けることができないとされています。
大切なのは「ちゃんと疑う力」
これからの社会で大切なのは、「自然か人工か」という分け方で判断することではありません。それよりも、本当に効果があるのか、危険と利益をどう比べるべきなのかを、一つ一つ考えていく姿勢が重要です。
「天然だから安全」「合成だから危険」と決めつけるのは、考える手間が省ける分、魅力的に見えるかもしれません。しかし、その判断はとても危ういものです。守るべきなのは、「自然」という言葉そのものではなく、確かめられた事実にもとづいて、人の健康と社会を守ることです。
今、自分が選ぼうとしているものは、本当に事実にもとづいているのでしょうか。それとも、言葉が生み出す安心感に流されているだけなのでしょうか。その問いを忘れずに持ち続けることこそが、科学と上手につき合うための、いちばん大切な力です。
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