それ、あなたの科学でしょ?:「合成」と「天然」✉️60✉️

「それはあなたの科学でしょ。」ひろゆきが、よく言う言葉のパロディのようなこの言葉をSNSで見かけたとき、胸の奥が少しざわつきました。単なる言い返しのフレーズに見えて、実は今の社会の空気を驚くほど正確に切り取っている気がしたからです。
山形方人 2026.01.05
誰でも

科学や技術の話題になると、なぜか会話が噛み合わなくなる場面が増えています。データを示して説明しても、「でも私はそう思わない」と感覚的な言葉で返されてしまう。そのすれ違いの背景にあるのが、「合成」と「天然」をめぐる、目に見えにくい分断ではないでしょうか。

たとえば、「このサプリは天然成分100%だから安心なんだよ」と言われたり、「ワクチンはちょっと抵抗がある。自然免疫のほうが良さそうじゃない?」と語られたり、「人工添加物って、体に悪そうだよね」と同意を求められたりする場面です。どれも、明確な根拠が示されているわけではありません。それでも、「なんとなく分かる気がする」と感じてしまう人は少なくないはずです。

「天然」が支持される時代の象徴的な出来事

2025年、アメリカの保健福祉省(HHS)のトップにロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が就任しました。彼は以前から、「天然の食品」や「自然な治療法」を強く支持する姿勢で知られています。

この人事を単なる政治ニュースとして受け止めることもできます。しかし別の角度から見れば、「自然なもののほうが正しい」「人工的なものには疑いの目を向けるべきだ」という感覚が、どれほど社会に浸透しているかを象徴する出来事とも言えるでしょう。

最近、心理学の総説誌 Current Opinion in Psychology に、「ナチュラルネス・バイアス(自然性バイアス)」をテーマにした総説が掲載されたのを見かけました。ナチュラルネス・バイアスとは、人が「自然」と書かれているだけで、それを無意識のうちに「良いもの」「安全なもの」だと感じてしまう心理的傾向を指します。しかもこれは、熟考の末の判断ではなく、ほとんど反射的に起こるものです。

「同じ中身」でも、選ばれるのは「天然」

この総説で紹介されている実験の結果は、非常に示唆的です。研究では、成分も効果もまったく同じ二つの薬を用意し、一方には「天然由来」、もう一方には「合成」とラベルを貼って、どちらを選ぶかを参加者に尋ねました。すると、多くの人が迷うことなく「天然由来」と書かれたほうを選んだのです。

さらに驚くのは、その後に「実際には合成のほうが安全性が高い」というデータを示された場合でも、一定数の人がなお「天然」を選び続けた点です。

冷静に考えてみれば、自然界には毒キノコが存在し、ボツリヌス菌は天然由来でありながら極めて高い致死性を持っています。ヒ素もまた、れっきとした天然物です。一方で、私たちの平均寿命を大きく延ばしてきたのは、抗生物質やワクチン、抗ウイルス薬、鎮痛剤といった、人間が「不自然」に合成し、厳密に管理してきた医薬品でした。

それでもなお、「天然」という言葉を耳にした瞬間、人々の脳はふっと警戒心を解いてしまいます。まるで、その言葉自体に魔法がかかっているかのようです。

道端に落ちていた食べ物を洗わずに口にする人はいないでしょう。これは、「天然」の中にさまざまなリスクが潜んでいることを示しています。「自然」や「天然」を選ぶということは、道端の食べ物を洗わずに口にすることと同じ危険性があるのです。

なぜ人は「自然」に弱いのか

このバイアスの背景にある主な理由として、二つのメカニズムが指摘されています。

一つ目は、「自然なものは安全で、人工的なものは危険だ」という思い込みです。「自然のものは体に馴染みやすい」「人工的なものは副作用がありそうだ」といった感覚は、科学的な検証というより、イメージに近いものです。たとえば、「天然のタバコの葉」と聞くと、どこか体に優しそうな印象を抱く人もいるかもしれません。しかし、ニコチンやタールの有害性は、天然であろうとなかろうと変わりません。

もう一つは、心理学で「情動ヒューリスティック」と呼ばれる現象です。簡単に言えば、「自然って、なんだかいい響きだよね」という感情が、成分表示を確認したり、データを比較したりする手間を省かせてしまうのです。この「なんとなく良さそう」という感覚が、深く考える前に結論へと導いてしまいます。

「自然派」の裏にある科学不信

もう一つ見逃せないのが、科学そのものへの不信感です。近年、「専門家の意見より自分の感覚を信じたい」「科学はどこか信用できない」といった声を、以前より頻繁に耳にするようになりました。研究によれば、ナチュラルネス・バイアスが強い人ほど、科学全般に対する不信感も強い傾向があるとされています。

科学とは、自然を分解し、測定し、再構成する営みです。その意味では、極めて「不自然」な行為でもあります。「人間が自然に手を加えるべきではない」「それは神の領域に踏み込むことだ」と感じる人にとって、ゲノム編集やワクチンといった技術が受け入れがたいものに見えるのも、無理からぬことなのかもしれません。

実生活で起きている、静かなリスク

「自然が好き」という感情そのものは、決して否定されるべきものではありません。自然の中で過ごすことが心身のストレスを軽減することは科学的にも示されていますし、超加工食品を控え、素材に近い食事を心がけることが健康に寄与する場合も多くあります。

問題は、それが絶対的な信念に変わったときです。「天然だから安全なはずだ」と思い込んで禁煙を先延ばしにしたり、「自然免疫のほうが大切だ」と考えて子どものワクチン接種を避けたり、科学的に有効性が確認されている標準的な治療を拒み、根拠の乏しい自然療法に頼ったりするケースは、決して珍しいものではありません。また、「有機栽培よりも無農薬栽培のほうが安全だ」という神話を信じるあまり、O157やサルモネラ菌といった細菌リスクや、有機栽培が抱える経済的・環境的負荷を十分に考慮しない例も見られます。

しかも厄介なことに、このバイアスは一般の人だけの問題ではありません。医学的な訓練を受けた医師であっても、文脈によっては「天然」とされる選択肢を好む傾向があることが報告されています。人々は皆、自分が思っている以上に「言葉の雰囲気」に影響される存在なのです。

いま必要なのは「健全な疑い」

自然志向の波は、すでに消費行動だけでなく、ヘルスケア政策やビジネス戦略にも大きな影響を与えています。だからこそ重要なのは、「自然か、人工か」という単純な二択に飛びつかない姿勢です。

本当に注目すべきなのは、どのようなデータが示されているのか、どのようなリスクがあり、どのようなベネフィットが期待できるのか、という点です。「天然」というラベルに安心する前に、一呼吸おいて考える。その小さな習慣が判断ミスを防ぎます。

「自然だから良い」という思考停止は、ときとして最大の毒になります。私たちが守るべきなのは、抽象的な「自然」そのものではなく、エビデンスに基づいた健やかな暮らしや持続的な社会のはずです。

今、あなたが選ぼうとしているそれは、本当に安全だからでしょうか。それとも、「自然」という心地よい言葉に、そっと背中を押されているだけなのでしょうか。その問いを自分自身に投げかけることこそが、情報が氾濫する時代を生きるための、もっとも現実的な知性なのかもしれません。

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