ニパウイルスが突きつける現代社会の脆弱性✉️69✉️

かつて、マレーシアのスンガイ・ニパ(Sungai Nipah)という地名から名付けられたそのウイルスは、いまや世界が最も警戒すべき病原体の一つです。
山形方人 2026.02.05
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ニパウイルス(Nipah virus)」。耳慣れない響きかもしれませんが、その実態はエボラ出血熱にも匹敵する、あるいはそれ以上に厄介な特性を持つ「次なるパンデミック」の最有力候補です。致死率は40%から75%で、有効な治療薬もワクチンも、いまだ一般には普及していません。

最近、インドで感染が確認され緊張が走っています。なぜこのウイルスがこれほどまでに恐れられ、そしてなぜ今、私たちの文明に牙を剥き始めているのか。その深層に迫ります。

「殺人ウイルス」の正体とその狡猾な手口

ニパウイルスは、ヘニパウイルス属に分類される人獣共通感染症の病原体です。その「運び屋」となるのは、オオコウモリ(フルーツバット)です。ウイルスそのものは、18kbを超える単鎖マイナス鎖RNAという、パラミキシウイルス科の中でも非常に長いゲノムを持っています。

このウイルスの恐ろしさは、その「侵入経路」の多様性と「標的」の広さにあります。ヒトの細胞表面にあるエフリンB2およびB3(ephrin B2およびB3)という受容体を鍵穴として使い、全身の血管内皮細胞や神経細胞へと侵入します。特にエフリンB3は前脳の特定の領域に多く発現しているため、感染者は激しい脳炎症状に襲われることになります。

初期症状は、発熱、頭痛、筋肉痛、嘔吐といった「ただの風邪」と見分けがつかないものから始まります。しかし、そこからの進行はあまりに劇的です。めまい、嗜眠(しみん)、意識障害、そして急性脳炎。さらに恐ろしいのは、呼吸器症状を伴うケースが増えていることです。これは、ウイルスが空気を介したヒトからヒトへの感染力を強めている可能性を示唆しており、公衆衛生上の最大の懸念事項となっています。

1998年、マレーシア:ある「誤認」から始まった悲劇

ニパウイルスの歴史は、1998年にマレーシアの養豚農家で発生した、ある「謎の病」から始まります。当初、当局はこれを蚊が媒介する「日本脳炎」だとしました。蚊の駆除キャンペーンが大々的に行われましたが、感染は止まりませんでした。

現場の医師たちは、日本脳炎のワクチンを打った人が発症していること、そして子供ではなく成人に被害が集中していることに違和感を抱きました。しかし、行政がその声に耳を貸すのが遅れた結果、265人が感染し、108人が命を落とす事態となりました。最終的には100万頭もの豚が殺処分され、マレーシアの養豚産業は壊滅的な打撃を受けました。

その後の調査で、真相が明らかになります。森林開発によって生息地を追われたコウモリが、豚舎の近くにある果樹園に飛来し、食べ残した果実や尿とともにウイルスを落としたのです。それを食べた豚が感染し、さらにその分泌物に触れた人間へと「スピルオーバー(異種間伝染)」が起きた。これは、人間による環境破壊が招いた人災でもあったのです。

加速するリスク:気候変動と人口密度の罠

なぜ今、再びニパウイルスが注目されているのでしょうか。それは、現代社会が抱える歪みが、このウイルスの活動を後押ししているからです。

第一に、人口密度です。現在、ニパウイルスの発生が頻発している南アジアや東南アジアは、世界の陸地面積のわずか5%に、世界人口の26%が密集するエリアです。特にバングラデシュやインドのケララ州、西ベンガル州のような高密度居住区では、一度ヒトへの感染が始まれば、その拡散スピードは制御不能なレベルに達します。

第二に、環境破壊と気候変動です。エルニーニョ現象による干ばつや大洪水は、コウモリの移動パターンを劇的に変えています。森を追われたコウモリは、餌を求めて村落や都市部に近づきます。バングラデシュでは、コウモリが夜間に木に吊るされたナツメヤシの樹液を舐め、その汚染された樹液を人間が飲むことで感染するルートが定着しています。

人々が快適さを求めて森を切り開き、気候を変動させるたびに、ウイルスを宿した野生動物との距離は「危険なほど」縮まっているのです。

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続きは、844文字あります。
  • 医療の最前線:ワクチン開発という「時間との戦い」
  • 私たちが向き合うべき「不都合な真実」

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