パンデミックの教訓は生かされるのか?:「インフルエンザD」と「イヌコロナウイルス」という2つのウイルスの脅威✉️68✉️
2009年の新型インフルエンザ、そして2019年末から世界を一変させた新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)。私たちは、わずか10年余りの間に二度にわたる世界規模の公衆衛生危機を経験しました。医療現場の逼迫、経済活動の停滞、社会的分断、そして数え切れないほどの死。その代償は、あまりにも大きなものでした。
その経験から、「次こそは備えるべきだ」と繰り返し議論されてきました。しかし、果たしてその教訓は、実際の政策や監視体制にどこまで反映されているのでしょうか。科学者たちは今、静かながらも切迫した警告を発しています。次なるパンデミックの火種となり得る二つのウイルスが、私たちの足元で、既存の監視網をすり抜ける形で進化を続けているというのです。
それらは、「インフルエンザDウイルス(IDV)」と「イヌコロナウイルス(CCoV-HuPn-2018)」です。いずれも現時点では大きな社会問題として認識されていません。しかし、その立ち位置は、かつてのSARS-CoV-2がそうであったように、公的診断プロセスや感染症監視の「死角」にあります。テキサス大学医学部のGregory C. Gray博士らは、最近、米国CDCのEmerging Infectious Diseasesに掲載された文章で、これらのウイルスの危険性について警告しています。

インフルエンザDの正体:「ウシの風邪」から「人類の脅威」
インフルエンザDウイルスが初めて特定されたのは2011年のことです。ブタの呼吸器疾患の原因として見つかったこのウイルスは、当初、畜産業界における経済的問題として扱われていました。特にウシの間で流行する「牛呼吸器病複合体(BRDC)」の主要な原因の一つとされ、年間で10億ドル以上の損失をもたらすと報告されています。
しかし、その後の研究が明らかにしたのは、このウイルスの「しぶとさ」と「柔軟さ」でした。IDVは、ブタやウシといった家畜にとどまらず、ラクダ、シカ、キリン、カンガルー、さらにはニワトリなどの家禽類にまで感染していることが分かってきたのです。この異様とも言えるほど広い宿主域は、現在世界中で警戒されている高病原性鳥インフルエンザ(H5N1)の生態と重なります。
さらに懸念すべきは、ヒトとの距離の近さです。米国フロリダ州で行われた牛舎労働者を対象とする血清調査では、調査対象者の実に97%が、IDVに対する中和抗体を保有していました。これは、彼らが日常的な業務の中で、自覚症状のないままウイルスに感染し、免疫応答を獲得している可能性を示唆しています。つまり、インフルエンザDは、すでにヒトの社会に侵入しているのです。
現時点では、IDVによってヒトが重症化した明確な症例は報告されていません。しかし、それをもって安心するのは早計です。中国の研究チームによる最新の報告では、新たに分離されたIDV株が、フェレット間での空気感染能力を獲得していることが示されました。フェレットはヒトのインフルエンザ研究における標準的なモデル動物であり、その結果は極めて示唆的です。さらに、このウイルスはヒトの呼吸器上皮細胞においても効率的に増殖することが確認されています。
インフルエンザウイルスは、異なる株同士が遺伝子を交換する「リアソートメント」を通じて、急速に性質を変えることで知られています。IDVもまた、その例外ではありません。現在は症状が軽微であっても、進化の延長線上で「ヒトからヒトへ」の伝播効率を高める可能性は、決して否定できないのです。
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