ニワトリのゲノム編集の現状を知る✉️19✉️

ゲノム編集はニワトリにも応用されており、アレルゲンを除いた卵や医薬品の生産、感染症対策など、多様な価値を生み出しながら社会実装が進みつつあります。鳥インフルエンザに強いニワトリや、雌だけを産む卵を産むニワトリなど、注目すべきアプローチも登場しています。
山形方人 2025.10.03
誰でも

ゲノム編集の技術は、これまで医療や農業で大きく進歩してきましたが、その最前線は、私たちのとても身近な動物であるニワトリにも広がっています。卵は毎日の食卓に欠かせないだけでなく、ワクチンや医薬品の生産、さらには感染症対策など、公衆衛生の面でも重要な役割を担っています。

こうした特徴を生かそうと、ニワトリを対象にしたゲノム編集の研究が進められています。食料の安全性や品質を高めたり、医療に役立つ資源を確保したり、家禽産業をより持続可能なものにしたりと、さまざまな価値を生み出す可能性があるのです。すでに世界各地で、研究室を飛び出して実際の社会での活用を目指す取り組みが加速しており、目が離せません。

今回はこうしたニワトリのゲノム編集の現状を紹介します。

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食の安全と品質向上:アレルゲンフリー卵への挑戦

鶏卵は、食物アレルギーの主要な原因食物の一つです。特に、オボムコイド(OVM、Gal d 1)は、卵白中の全タンパク質の約11%を占める分子量28 kDaの糖タンパク質であり、Kazalドメインを持つトリプシン阻害剤として機能するとともに重要なアレルゲンとして知られています。加熱してもアレルゲン性を失わないとされます。この課題に対して、遺伝子機能を根本から排除するゲノム編集技術が注目を集めています。

日本は、この分野で世界をリードする地位にあります。国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(NARO)と産業技術総合研究所(AIST)は、ニワトリの始原生殖細胞(PGCs)を介した独自のアプローチで、世界に先駆けてオボムコイド遺伝子を欠損させたニワトリの作出に成功しました。この独自技術は、受精卵の体外操作が困難という技術的障壁を巧妙に乗り越えたものでした。

さらに、広島大学や東京農業大学、キユーピー株式会社の連携による研究では、TALENsを用いて作出されたオボムコイド欠損卵(ON卵)の安全性評価が進められています。研究の結果、ゲノム編集によるオフターゲット作用や新たな変異タンパク質の産生がないことが確認され、食品としての安全性が確立されました。ON卵は通常卵と遜色ない加工特性を持つことも確認されており、実用化に向けた重要なステップがクリアされています。このプロジェクトは、生産効率の向上にとどまらず、食物アレルギーに苦しむ人々の生活の質(QOL)を向上させるという、明確な社会的課題に応えるものです。

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バイオ医薬品・ワクチン生産:ニワトリ・バイオリアクターの可能性

従来の培養細胞を用いたバイオ医薬品生産には、高コストという課題がありました。これに対して、安価な鶏卵を「生きた工場」、すなわちバイオリアクターとして活用する概念が浮上しています。ニワトリは年間300個近くの卵を生産し、卵白に高濃度のタンパク質を分泌する能力を持つため、医薬品製造の新たなプラットフォームとして大きな可能性を秘めています。

この分野では、卵白の主要タンパク質であるオボアルブミン(OVA)をコードするOVA遺伝子座が主要なターゲットとなっています。この部位にCRISPR/Cas9を用いて、ヒトインターフェロンβアディポネクチン(ADPN)といった有用タンパク質の遺伝子をノックインする研究が進められています。

海外では、韓国のソウル大学の研究チームが、ヒトアディポネクチン(ADPN)遺伝子をOVA遺伝子座にノックインしたゲノム編集ニワトリを作出し、卵白中に機能的なヒトタンパク質を効率的に生産できることを実証しました。この技術は、ニワトリの価値を「食料源」から「高付加価値物質の生産プラットフォーム」へと根本的に転換させるものです。

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疾病耐性:家禽産業の保護と公衆衛生の向上

世界的に広がる鳥インフルエンザは、家禽産業に甚大な経済的損失をもたらすだけでなく、ヒトへの感染リスクも内包しています。この脅威に対して、ゲノム編集による疾病耐性の付与は、より根本的な解決策として期待されています。

この分野の研究は、インフルエンザウイルスが複製に利用する宿主タンパク質、特にANP32Aタンパク質をコードする遺伝子を標的としています。英国エディンバラ大学(ロズリン研究所)の研究チームは、CRISPR/Cas9を用いてANP32A遺伝子を編集し、鳥インフルエンザウイルスの複製を制限することに成功しました。

しかし、単一のゲノム編集だけでは不完全な抵抗性しか得られないという課題も浮き彫りになっています。このため研究者らは、ANP32Aに加えてANP32BとANP32Eも同時に編集する「多重ゲノム編集」が、完全な抵抗性を達成するために不可欠であると結論付けています。これは、ゲノム編集による疾病耐性付与が、複数の遺伝子を同時に操作するより高度なアプローチへと進化していることを示しています。

同様に、トリ白血病ウイルス(ALV-J)の細胞侵入に必要な遺伝子配列を編集することで、ウイルス耐性を付与する研究も行われています。

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生産性向上と育種改良の加速化

世界の人口増加に伴う食料需要の高まりは、家禽の成長効率や肉質改善を急務としています。しかし従来の育種には長い年月と膨大なコストがかかります。ゲノム編集は、このプロセスを劇的に加速させる新たな道筋を開いています。

家禽の生産性向上における主要なターゲット遺伝子の一つが、筋肉の成長を抑制する役割を持つミオスタチン(MSTN)です。ニワトリの胎児筋芽細胞を用いた研究では、MSTN遺伝子をノックアウトすることで、筋芽細胞の分化が促進され、胸部や脚部の骨格筋が有意に増加することが示されています。

また、成長と発達に重要な役割を果たすインスリン様成長因子1(IGF-1)も有望な候補遺伝子と見なされています。ゲノム編集は、この育種プロセスを「遺伝子から形質を逆算する」精密なエンジニアリングへと変貌させます。この技術は、大規模な育種プログラムを持つ企業だけでなく、小規模な研究機関でも特定の形質に絞った品種改良を可能にし、「育種の民主化」をもたらす潜在力を持っています。

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雌だけを生む卵を産むニワトリ「ゴルダ」

イスラエル農業研究機構Volcani CenterのYuval Cinnamon博士らは、バイオ企業Huminnと共同で7年間にわたって研究を進め、雌だけを生む卵を産むニワトリ「ゴルダGolda」を誕生させています。

現在、卵用ニワトリの雄ヒヨコは、成長しても産卵しないうえ、肉の量や成長速度も肉用の「ブロイラー」ほど高くないため、経済的に飼育が成り立ちません。このため、ふ化直後に窒息、二酸化炭素による処理、生きたまま粉砕などの方法で処分されています。これは長らく、世界の畜産業において最も深刻な動物福祉上の課題の一つとされてきました。

研究チームが開発した「ゴルダ」は、この問題を解決するための技術です。ニワトリでは、雄がZZ型、雌がZW型の性染色体をもちます。ゴルダでは、母鳥(メス)のZ染色体に特定の遺伝子改変を加え、雄(ZZ)となる胚が初期発生の段階で停止するように設計されています。この仕組みは光遺伝学的な手法を利用し、ふ化前の卵に特定波長(青色光)を照射することで発動します。その結果、ゴルダが産む卵からは雌(ZW)のヒヨコだけがふ化します。

重要なのは、この方法で生まれる雌ヒヨコ自身はゲノム編集されていないという点です。雌は母親から未編集のW染色体と、父親から未編集のZ染色体を受け継ぐため、遺伝子改変は伝わりません。したがって、生まれた雌ヒヨコは従来の卵用ニワトリと同じ性質をもち、生育後、食用卵を産むことができます。

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ゲノム編集技術の進化とニワトリへの適用

ニワトリにおける遺伝子改変は、その独特な生殖システムと胚発生の様式により、長らく困難とされてきました。哺乳類の場合、受精直後の単一細胞の受精卵を体外で容易に操作し、ゲノム編集ツールを注入することが一般的です。しかし、ニワトリの有精卵はメスの体内(輸卵管)で受精し、体外に産み落とされる時点ではすでに20,000個以上の細胞に分裂しているのです。このため、マウスやブタに用いられる単一細胞への直接的な遺伝子操作手法を適用することは現実的ではありません。

この課題を克服したのが、ニワトリの始原生殖細胞(PGCs)を介した技術です。胚からPGCsを採取し、体外でゲノム編集を施した後、これを代理母となる初期胚に移植するという独自のアプローチにより、ニワトリにおける遺伝子改変研究が劇的に進展しました。

しかし、移植された外部のPGCと、宿主胚がもともと持つ内因性のPGCが競合し、ゲノム編集による形質の次世代への伝達率が低くなるという課題がありました。この課題を解決したのが「無菌代理宿主」技術です。この手法では、化学物質(DNAをアルキル化して複製を阻害するブスルファンなど)などにより、宿主となるニワトリから内因性のPGCをあらかじめ除去します。これにより、移植されたゲノム編集済みPGCのみが生殖細胞に分化し、次世代に形質を伝えることが可能となります。

ちなみに、絶滅種ドードーを復活させようとしているColossalバイオ社のアプローチも同様な技術を利用しています。

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主要な研究機関と産業界の動向

ゲノム編集ニワトリの研究開発は、日本、英国、米国、イスラエルを中心に活発に進められています。日本では、産業技術総合研究所(AIST)と農業・食品産業技術総合研究機構(NARO)がアレルゲンフリー卵などの先駆的な研究を主導しています。英国のロズリン研究所(The Roslin Institute)が鳥インフルエンザ耐性ニワトリの研究を牽引し、英国のピルブライト研究所(The Pirbright Institute)が、ワクチン生産効率を高めるためのニワトリ細胞株のゲノム編集研究で重要な役割を果たしています。

産業界もこの分野の可能性に積極的に投資しています。グローバルな家禽育種企業であるコブ・バントレス(Cobb-Vantress)ヘンドリックス・ジェネティクス(Hendrix Genetics)は、育種プログラムへのゲノム編集技術の統合に関心を示しています。また、リコンビネティクス(Recombinetics)のようなバイオテクノロジー企業は、食品動物だけでなく、生物医学研究モデルの開発にもゲノム編集技術を応用しています。

規制環境と市場受容性の課題

ゲノム編集ニワトリの商業化には、各国の規制環境が最大の障壁となります。米国とEUでは、ゲノム編集動物に対する規制アプローチが根本的に異なり、この違いがグローバルな市場の分断を引き起こす可能性があります。

米国では、ゲノム編集を含む動物の意図的なゲノム改変は、米国食品医薬品局(FDA)によって医薬品の枠組みで規制されています。一方、EUはゲノム編集を厳格なGMO(遺伝子組換え生物)指令の対象と見なす判決を下しており、この「プロセスベース」の規制が、EU域内での研究開発を停滞させる要因となっています。

ゲノム編集ニワトリの商業化には、規制に加えて経済的・倫理的な課題も存在します。研究室レベルでの成功を数百万羽規模の商業生産へとスケールアップさせるには、技術的および経済的な課題が残されています。

また、ゲノム編集食品に対する消費者の受容性も重要な要素です。科学的には従来の育種法と本質的に変わらないと説明されても、遺伝子組換え作物と同様に、消費者の間で倫理的・安全性の懸念を引き起こす可能性があります。技術が持続的に発展するためには、科学的な事実の提示だけでなく、社会的な信頼を築くための透明性の高い情報開示と継続的な対話が不可欠です。

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結論と今後のロードマップ

ゲノム編集ニワトリは、食の安全、医療、畜産効率の各分野において、これまでの限界を打ち破る革新的な可能性を秘めています。これらの可能性を現実のものとするためには、いくつかの重要な課題をクリアする必要があります。技術的には、複数の遺伝子を同時に編集する「多重ゲノム編集」技術の確立や、大規模商業生産に適した効率的な生産系の構築が求められます。

しかし、実用化の最大の鍵は、規制当局との協調と消費者との対話にあります。ゲノム編集ニワトリは、生産性向上といった経済的利益に加えて、疾病耐性やアレルゲンフリー食品といった社会全体に利益をもたらす多面的な価値を秘めています。これらの価値を明確に伝え、社会との対話を通じて共通の理解を醸成することが、この革新的な技術の社会実装を成功させるための最も重要な戦略となります。技術の進歩と社会的受容の両輪がバランス良く回転することで、ゲノム編集ニワトリは人類の福祉向上に大きく貢献する存在となるでしょう。

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